アファナシエフのピアノリサイタル

東京に転勤が決まって、東京の平日の夜にコンサートに聴きに行ける環境になったのと、とりあえずよく働いた自分へのご褒美とおもって、11月18日に浜離宮朝日ホールであるこのコンサートに行く事にしていました。・・がその後の騒動でちょっと危うかったのですが、無事聴きに行ってきました。久しぶりにホールで聴くピアノの音はとても甘くて・・、やばいです。


ヴァレリー・アファナシエフは、もうすぐ4年前になるのかな、死にそうになって1ヶ月半位入院していた時によく聴いていました。
今思うと、そんなにたいした事なかった(いや、あったとも思うけど)けがだったのですが、現実に意識が戻った時にそこでむこうとこちらに切断されてしまったように強く感じていました。それくらいそれ以前の事がまるで遠い昔、あるいはまったく取ってつけたような過去に思えて。
それで、それまでと今をつなげようとしたりしていたのですが、どうもうまく連続しない。そんな時にずっと聴いていたのがアファナシエフブラームスでした。聴いているうちに「君、人生はそんなものだよ」と諭されているような気がして、これからはじまるおまけの人生をどう生きようか、と考えるようになりました。
でも、今でもなんでそんなにこればっかり聴いていたのか・・今となってはことばにできないですね。


それから、なにかとよく聴いていたのですが、家では嫁さんの評判があまりよろしくなく、あまりレコードも買っていないですね。でも何枚かはあります。
最初に買ったのがバッハの平均律で、そのジャケット写真が怪しげなエージェントみたいで、家のあだ名は「KGB」だったりします(笑)。


リサイタルのプログラムは、「リストとその時代へのオマージュ〜「葬送」〜」とタイトルがある通り、リストの「葬送」へむかってそういう方向へ音楽が流れてゆくものでした。
最初に、ベートーヴェンの11のバガテルから4曲。弾き終わって、一服して(笑)客席をちらりと見たアファナシエフさん、あなたが悪い(笑)。客は拍手をするじゃないですか・・、でも糸が切れちゃったのか、一度舞台の袖に戻って仕切り直しって感じでした。
それからは、まるで客などいないかのように、自分の世界に入って弾きまくる・・。でも、それが聴きたかったので、逆によかったように思います。
リストの小品を弾いて、間髪入れずにドビュッシーのプレリュードを弾いて。休憩。
後半は、ベートーヴェンショパンの葬送行進曲を続けて弾いて、ワーグナー(リスト編曲)の聖杯への厳かな行進曲へ。ベートーヴェンの後にショパンを聴くと、ショパンの優しい響きが心地よくて泣けてきます。
そして、最後のリストの葬送がとてもよくて。これが弾きたかったからこういうプログラムにしたのね、と思いました。
終わってからしばらく席で呆然としてました。
リストって、多くの曲が結構イモっぽくてあまり聴いていなかったのですが。この曲はいいですね。どんな曲も聴いてみないとわからないなぁ。


手が白くて大きくてまるでうちわのように鍵盤の上を舞っていたとか、最後ばん!ってピアノを投げ飛ばして残響をダンパーペダルで響かせて最後音をペダルでしまっていたとか、しかもダンパーがキチンときれいに降りなくて最後音が濁ってたとか、ホールがいいからか思う存分叩きまくっていたとかはどっちでもいい話で(笑)。・・でも、チューナーさん、あのダンパーの使い方をするピアニストだったらあの調整はまずいと思いますよ(笑)。