師匠のビデオのタイムスタンプが1999年だったので、その頃僕何してたかな?と思って、現在は娘の所有となっているPC(パナのW2)を開けてメールを見てみました。
・・丸伊さんが亡くなった次の年で、グライダーの日本選手権の運営に携わっていたんですね。
確か、ルール上はいかに安全にゴールラインを通過してもらうか知恵を絞っていたのですけれど、タスクがキャンセルになったとたんに写真家のリクエストもあり、ローパス大会が始まった、なんてことがあったなぁ。
そのとき僕は自治医大の辺りではまって、一緒にいた2機はどちらもアウトランディング、僕だけなんとか野焼きの渡良瀬遊水池にたどり着いて高度を回復して、・・もちろんローアプローチ(笑)。実はこのときが初めてのローアプローチで結構ドキドキものでしたが、降りたあと多くの人に「甘い!」とキビシイ評価を頂いた覚えが。
しかも降りたあと、アウトランディングした内の1機の回収に行ったなぁ。
真剣に遊ぶ年頃だったんでしょうね(笑)。