叔母を送ってきました

12日のつづきです。
火葬場のスケジュールから決めて、18日に告別式・17日にお通夜と決まり、17日午後から18日いっぱい休暇をとりました。
15〜16日は普通に仕事していたのですが、なにしてたろ?あまりよく覚えていないです。
17日の午後は、お昼をいただいてからまず新横浜へ和尚さんを泊めるホテルの支払いから。いつもは混む道々今日はガラガラ。あっという間について余ったのは時間ばかり。
カフェで黄昏ていました。
納棺が16時からだったのでその前に入ったのですがもう喪主(兄)は着いていて以降は裏に回ることにしました。とりあえずいろいろ済ませて和尚さんに挨拶をして、お通夜へ。終わって和尚さんにおもたせして送り出し、参列した親戚のみなさんにもおもたせをして明日の人数をFIXしてこの日は式場を後にしました。
翌18日、会場は仲町台で会社は大和だから余裕があるので朝だけ会社へ。一応一通り目を通して式場へ行く前に兄とマンションへ。本人が以前に「一緒に焼いてほしい」と言っていたものや骨壷に一緒に納めたいものを探して集めそれを持参して式場へ。
また親戚達が集まりお昼から告別式と初七日。その前に菩提寺墓所を管理しているいとことお話をしてそこに収めることを了承してもらいました。前日は式が終わったら帰られるとおっしゃっていたのですが最後まで来て下さるとのこと、とてもうれしかったです。
そうこうしてお棺に蓋をするときに納めるものを納めて斎場へ。北部斎場ってとてもゴージャスなところで、こんな時でもやっぱりお葬式はあるわけでそりゃそうだよなと思ったり・・。
待つ間食事をして(アルコール抜き)焼き終わって骨壷に納めて和尚さんと参列のみなさんを送って任務完了(していないけど)。
兄と2人で再び仲町台のマンションへ行き、管理会社と打ち合わせと以前両親の時にお世話になった行政書士さんに来浜してもらい打ち合わせを。
その間僕は管理会社とお話して死去後に必要な手続きの確認をして・・管理費の高額さにちょっとびっくりしたり・・。その後いろいろ事例を調べたら以外にリーズナブルな設定だとわかり・・世の中知らないことだらけです。
その後年金手帳とか必要な書類を探したのですがイマイチ肝心なものが見つからずそれは仕切り直しすることにして仲町台を出て、叔母の遺骨とともに兄の自宅へ戻りました。
兄の元にある書類を再点検したところ必要な書類がいくつか出てきて、それはおそらく父親と叔母の間で交わされた約束に基づくものと推定され、同時に今後どのようにするかということについても道筋が見えてきて、またそれぞれの役割分担を確認して、両親にお線香をあげて下鶴間に戻りました。
その書類自体は年末に兄と訪れた際に念押しのあった書類たちで、兄はこの日開けて中を見るまであまりちゃんと確認していなかったようです。それらをみるにつけ父親がこの書類を最後更新した時にどんなこと考えていたのか、そして年末に叔母がこの書類をちゃんと所在を確認しておいてほしいと宣っていたことを思うと、少し複雑な気持ちになりました。

次に集合するのは四十九日、4月の初旬になります。
多分僕ら兄弟と何人かで送ることになります。また遠くから来る兄に・・なんだかエライやつだなぁと思う次第で・・。僕にはむりだなぁ。

なんだかとてもくたびれた1日でした。

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↑お通夜のおもたせを僕ももらい、夕食としました。・・さすがに作る気なかった。肉っ気のない食事は懐石だから?
お味噌汁は自分製です。
18日も遅かったけれど、この日はこの日のために仕入れておいた冷凍食品のお惣菜でご飯にしました。
これを書いているのは20日ですが、まだ眠気がとれません・・。あまり眠れていないのかもしれない。