横浜へ(6/11記)

ここ数週間で母の状態がとても悪くなっています。
下血がひどくなってきたという連絡はきていて、県立がんセンターに行って検査をしてもらい現状を確認したよ、と連絡が来て訪浜したのが連休明けの日曜日。定期的に訪問医に来てもらう、いざという時に受け入れてもらえる終末医療の機関にいざという時には面倒を見てもらう約束を取り付けた、と連絡が来たのが5月の半ば。
兄から「立てなくなった」連絡が来たのが2週間位前。ただ転んだ訳ではなく自力で移動ができなくなったようで、手摺を伝っても自力でお手洗いに行くことができなくなった模様・・。
その直前に父の時にお世話になったケアマネさんに連絡を取って看護師さんの定期訪問を開始したばかりの時期で、結局毎日訪問をお願いしているようでした。
「食べなくなった」と連絡が来たのが先週の初め。訪問医をお願いしたところ、持って6月いっぱい位では?との診立てで、僕らもこの週末に会いに行くことにしていました。
で、今日兄の在宅時を狙って早朝に訪浜。母に会って来ました。ようやく自力でベットに腰掛けられる程度まで衰弱していました。手も足も細くなって、ひょいと片手で持てそうなくらい軽そうな感じで、でもまだ手や頬は温かくて・・。
僕やお嫁さん、娘の顔をじっと見てくれて、微笑んでくれて「気分は最高!」なんて軽口叩いていました。(兄曰く一昨日くらいから結構ハイになっているとのこと。)
10分位で座っているのも辛そうになり始めたので、横になるお手伝いをして、おいとましました。

兄は家で看取る覚悟を決めているようで、母にお茶を飲ませるのも、寝かすのも日常のようでした。僕なんか出る幕ないみたいなのが寂しくもあり、兄がうやらましくもあり、とはいっても果たしてそこまでできるだろうか?とも思い・・いろいろな思いが・・。
僕なんか行ってもあっという間に「非日常」の世界を広げてしまって収拾つかなくしてしまいそうで、「いつでも呼んでね」とは言ってみたものの・・兄に任せるしかないようです。にいちゃん偉い奴だなぁ、と改めて思います。

2017年6月11日 23時30分追記
自宅から群馬へ、新町駅を降りて雨の中アパートへ向かって歩いていました。
途中のスーパーで翌朝の朝食の食材を買い、新町郵便局を過ぎてアパートへ入る道を曲がったところで、22時45分に携帯電話に着信がありました。なり終わらないのでメールではないと思い出たら兄でした。曰くお母さん亡くなったと・・。
それから、動転する心を抑えて「アパート入ってから掛け直してよい?」と電話を一度置いて・・部屋に入ろうとしたら鍵が刺さらない?・・階段間違えていました・・・。
夜帰宅したらもう冷たくなっていたとのことで、家で看取るということはそういうことなのだなぁと改めて思い・・。
なんだか言葉にならないや。