伯父のお葬式に参列してきました

11月27日に兄から電話がありました。電話を見てやな予感。
・・直電話は最近「絶対にすぐ知らせたい禍事」の連絡が中心になっている気がします。直電話がくるとかまえるようになるのもそう遠くない気がします。
曰く鶴見の伯父が亡くなったとの事。最近までさすがに外出は厳しいように聞いていましたが元気だと皆言っていたので、少し面食らいました。
最後に会ったのは、厚木の従兄弟の結婚披露で中華街で会食があったときでした。
伯母は遅い結婚で、僕が小学生の時に、だから今の僕の歳位で今の鶴見の家にお嫁入りしました。仏式の結婚式は珍しくてとても印象に残っています。
嫁いで行った伯父の家は鶴見の某大寺の中にあって、冒険ごっこにうってつけの場所でした。実際伯父はボーイスカウトの支援者で自宅の庭先でボーイスカウトが活動をしていてそれもとても珍しかった・・キャンプとかその類は僕は何故かYMCAに縁があって(両親の意向だったのかもしれない・・)そこでしていたので、制服、お揃いのスカーフ等のARMYを彷彿させるものには抵抗がありましたけれど。
ついでに言うと、おかげで賛美歌は普通に歌えます。幼稚園も教会の幼稚園だったし、予備校もYMCAだった。たぶんプロテスタントだったらすんなりと入ってしまうかもしれないですね。(はいらないけれどw。)
中学で部活に入るまでは頻繁に遊びに行きました。今思うとおじさんもうリタイアしていたんですね。いつも居ました。・・いつも遊んでくれました。とてもたのしかった記憶がいっぱい。隣の棟のお堂の仏像を飽きもせず眺めたり、お堂の広縁で昼寝したり。少しくらいお手伝いもしたけれど、それも遊びの範囲を出なかったように思います。
長じて大学生の頃、今度は何度かお呼ばれして家で食事をご馳走になりました。もうその時は大人として扱ってくれました。
その時に当時はまっていた司馬遼太郎の小説から興味を抱いていろいろ調べていた空海の話しとかしたら、伯父さんとっても喜んでくれて「なおしくんとこんな話が出来るようになるとは思ってもいなかったよ」と言ってくれたのがとても印象に残っています。
僕の結婚式の時もとても印象に残りました。お酒大好きな伯父さん、大ヨッパライになっていて・・ほぼ親戚メインの列席者だったので、両家の挨拶もかねてお一人ずつお話しをして頂いたのですが、そのときの事でした。
僕はこの伯父さんにはお嫁さんも気に入ってほしかったので「美味しいお酒を飲みに、かわいいお嫁さんを見にきて下さい」と招待状にコメントをいれていたのですが・・大ヨッパライのオジさん「おいしいお酒とお嫁さんをいただきにきました」とやってしまいました(笑)。伯母さんが慌ててたのも印象深くて、結婚式で印象深かった2つのうちのひとつです。
(もうひとつは従兄弟のイクの「「オレはこんなことしない」と言っていたのに・・」でした(笑)。・・実際やらない、と言ったら親父にこっぴどく叱られて、お前がやらないと言っても新しい家族を紹介するのは俺の責務だからやらせるからな、と言われた事も懐かしい思い出です。)


僕は姫路だし、平日だったら手も足も出ません。伯母には子供がないので、お兄さんが手伝うみたいで・・後報を待つ事にしました。平日だったらお嫁さんにお通夜に行ってもらうようにお願いしていたのですが・・土曜日に告別式となったので、急遽帰宅して参列する事にしました。


その曹洞宗のお寺でお葬式があったのですが・・、お経が3声のコラールでとてもよかった。仏教にも音楽あるんだなぁと改めて思いました。
そして、大勢で送って下さったボーイスカウトの方々。皆さんばっちり制服で決めて、火葬へむかう伯父をボーイスカウト式の敬礼と旗で見送ってくれました。

そして、父を送った所で同じように伯父を天に送り・・・。なんでかなぁ。そんな一緒に往かんでもいいじゃないか、と思うのですが・・。そんなものなのでしょうね。